対談「村上春樹の短編について」[前編](2/100)

しばらく前の話になる。
村上春樹の長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が刊行されるのにあたって、友人のホンちゃんとふたりで勝手に「村上春樹祭り」と題してしゃべり、ポッドキャスト化したことがある。全部で4回(4話)ほど。
そのなかにたまたま村上春樹の短編についてふたりで語った回があり、今回の「全短編踏破マラソン」をやるにあたって、サルベージしてテキスト化してみた。本文中の「ブン」というのがわたしの匿名。
ホン さて、今週から4回にわたって「村上春樹祭り」を開催します。今日のテーマは「村上春樹の短編」について。
ブン ちなみに、村上さんは何編くらい短編を書いていると思いますか。現時点(収録は2013年4月上旬)では『東京奇譚集』が最新ということになってます。(※後記:2017年時点では『女のいない男たち』が最新短編集)
ホン 70編くらい?
ブン 当たらずしも遠からず、80編くらい(※後記:じっさいには掌編も含めるともっと多い)。
ホン そんなもんなんだ。ここのところずっと書いていないよね。とすると「品川猿」が最新ってことになるのかな。
ブン と思うんですけど、さいきんの短編集をひっくり返したらちょっと気になるのを見つけちゃいました。村上さんが日本で発表していない作品ですね。「ニューヨーカー」では2006年2月20日発表になっている「蟹」という短編。
ホン あー、なんか聞いたことがあるぞ。なんだっけ?
ブン 初期の頃に「野球場」って短編があったでしょ。そのときに登場人物が書いていた小説が「蟹」というタイトルで、その小説内の架空小説をじっさいに作品化したんですね。
ホン この短編は日本ではどこに発表になったんだっけ?
ブン 『めくらやなぎと眠る女』(新潮社)にはいってますね。この短編集は、『像の消滅』につづいて海外で編集された第二短編集なんですが、その逆輸入版です。
ホン あの、黄色い表紙の『像の消滅』のあとに刊行されたやつか。それは忘れてたな。『東京奇譚集』が2005年だか
らね、最新短編集からかれこれもう8年も経つんだねえ(しみじみ)。
ブン 彼の執筆サイクルでは、長編書いて次に短編書いて、というリズムがありますよね。
ホン 『東京奇譚集』のまえには中編『アフターダーク』を書いていました。2004年ですよね。
ブン その後に『東京奇譚集』という流れになっていますけどね。それで『1Q84』へとつづいている。
ホン ぼく、じつはさいきんの短編を覚えていないんですよね。
ブン ぼくもまあ同じようなもんです(苦笑)。
ホン 思い出す短編というと、初期の「中国行きのスロウ・ボート」あたりまで遡っちゃうんですよ。
ブン 20世紀の話だね(笑)。
ホン そういった初期の後の短編で好きなのってなんだろうな。うーん微妙だな。
ブン ぼくはむしろ後期というのかな、「眠り」とか「タイランド」とか、ともに『神の子たちはみな踊る』に入っていますが、あとは「日々移動する腎臓のかたちをした石」(『東京奇譚集』所収)とかの作品が好きですねえ。こうみると自分でも傾向がよく見えてこないです。
ホン それは例の「淳平くん」というキャラクタがでてくるんだっけ。
ブン 「日々移動する」にはでてきますね。
ホン 彼は「蜂蜜パイ」という作品(『神の子たちはみな踊る』所収)ではじめて登場しますね。作品をまたいで登場しているので、僕らとしても注目しているキャラクタ。
ブン ひょっとして、次回作の長編に登場するとか。(後記:その予測はあっけなくハズレた)
ホン でも、タイトルが「多崎つくる」だからなー。
ブン いやいや、登場人物としてですよ。その可能性は考えても良いんじゃないかな? 何とも言えないけど(後記:その予測はあっけなくハズレた)。
ホン 比較的さいきんの短編というのであれば、「蜂蜜パイ」は好きです。というのは、ぼくのなかで明確な理由があって、春樹さんがはじめて「子ども」という存在を書いたからなんですよね。
いままでも、子どもっぽいキャラクタは登場してきたことはあって、例えば『ねじ巻き鳥クロニクル』の笠原メイとか、『ダンス・ダンス・ダンス』のユキとかね。
でも彼らは少女だしね。シンボルなんですよ、キャラクタ的に。
それが文字通りの意味で「子ども」という存在をはじめて書いたのが、「蜂蜜パイ」という作品なんですよね。
ぼくはいままで村上作品で不満に思っていたというか、作品の弱点というか、それは「子どもを書かない」ということだと思っていた。
それが「蜂蜜パイ」という作品で、突破したというか、逃げずに正面から渡り合ったというか。
それを評価しているんです。
ブン 読後感はハッピィというか、希望が見える終わり方になってましたよね。
ホン 『神の子』は全体テーマが阪神淡路大震災です。「蜂蜜パイ」はこの短編集の掉尾を飾る作品。希望に満ちているし、新しいステージに踏み込むんだという意気込みも感じられる。心に抱えている傷を乗り越えていこうという。
なので、ぼくにとっては「気になる作品」なんですよね。
ブン 前述したように、淳平というキャラクタはその後に『東京奇譚集』の短編にも登場してきます。ここまで来ると長編のキャラクタに採用されてもいいんじゃないかという気はします。でも逆にそう予感させてしまうキャラクタだから、かえって想像力を欠いてしまって詰まらなくなっちゃうかな。
ホン でも、意味もなく二度も登場させないでしょう?
ブン 二度目の作品では彼の女性観も語られるしね。
ホン 春樹さん本人も言っているけれど、短編のなかに次の長編のエッセンスがちりばめられていて、それがどかんと登場してくるじゃないですか。そういう意味では淳平という存在は注目しますよね。
ブン 泣いても笑っても来週結果が解るわけだけど(註:この会話の翌週に『多崎つくる』が発売される予定だった)、妄想話でいうと、ほら『グレート・ギャッツビー』みたいにさ、主人公はギャッツビーだけど、それを語る語り手がいるわけじゃないですか。
その伝で言えば、主人公は多崎つくるだけど、語り手という狂言回しは淳平ということも考えられる。彼は小説家でもあるしね。
あとは、『神の子たち』は阪神淡路大震災をモチーフにしていて、今回は東日本大震災の後の刊行でしょう。地震が共通したテーマというと浅知恵だけど、考えられなくもない。
ホン 前作『1Q84』からそんなに時間が経っているわけじゃないのに、ここで長編を書くというのはそれに値するモチーフが必要だと思うんですよね。だとすると東日本大震災というテーマもあながちハズレてもいないんじゃないかなあ。
ブン いざフタ明けてみたら、ぜんぜん違う話だったなんてことは充分ある(笑)。(後記:その通りだった)
ホン ひょっとしたら、トニー滝谷がでてきたりしてね。(後記:その予測はあっけなくハズレた)
ブン おおー、あり得ますよね。ぼくはあの話が大好きなんですよ。ある種の病癖から逃れられない女性を愛してしまった男の話でしょう。
あれ、うろ覚えなんですけど。妻がね、洋服をたくさん買っちゃうんですよ。それをトニー滝谷がたしなめられたら、彼女が死んじゃうという。(つづく)