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わたしが読書会をはじめたわけ (11/100)

 
  2017/12/10
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地元の武蔵小杉で、こぢんまりと読書会を開催するようになって、来年2018年1月で6年になる。2011年秋にトライアルではじめて、正式な活動は2012年1月から。
毎月1~2回ほど定期的に開いて2017年4月に100回を迎えた。今年は残りあと2回の開催予定。一年で30回近く開いた。いままでで、一年のウチでいちばん多い回数をこしたかもしんない。
ふう。
去年2016年は延べ約400名の方に参加いただきましたが、今年はそれより少ないかも。反省いろいろ。

開催回数50回を越したのが2014年秋。そのときもずいぶん遠くまで来たなあという印象だったが、そこからまたえっちらおっちらとつづけてくることができた。
ひとえに、参加していただいたみなさんと、支えてくれたスタッフのお陰です。
と同時に数字はこだわらず、コツコツと今後もつづけていけたらいいなと考えている。

サークル的なじわじわとしたもの

この読書会がはじまるきっかけは、ぼくが当時理事をしていたNPO法人の、あるイベントに参加していた大学生ふたりの一言から。
彼らが、
「若い人たちにも、地域コミュニティ活動に参加してもらいたいんです」
というので、
わたしは「じゃあ、なにか若者の関心を呼ぶような企画してよ」と言った。そうしたら、彼らは飲み会企画を提案してきたのだった。

「この企画は難しい(集客できない)だろうな」と直感的に思ったのだが、それは口にしないで、彼らにそのまま進行してもらった。

案の定、ひとりの参加者も集めることはできなかった。
「どうする、やめる?」と結果を聞いたぼくは彼らに聞いた。
「いや、ぼくらがほんとうにやりたいのは、飲み会のようなそういう単発的なイベントじゃなくって、もっとサークル的なじわじわと人が集まってきて、持続的なものをやりたいんです」という。
「たとえばどんなこと?」と訊いたら、
「ホザキさんなら、なにをやりますか?」と逆に訊いてきたので、
(なんだよ、no ideaかよ)と思ったのだが、
「例えば読書会っていうのも、ひとつアイデアとしてはあるんじゃないかな?」と答えたのが、まあスタートではある。

読書会なら、元手はあまりかからなくていい。カフェでも会議室でもちょっとした場所と文庫本一冊くらいあればいいわけだから。人数だって大層な数を集める必要もない(その後しばらくして70人規模の読書会を数回開いたことはある)。
問題は、読書会が地域活性化に結びつくかであるが、それは改めて後述する。結論から言うと、正解だった。意外かもしんない。

「読書会ですか、それはいいですね」と彼らは言ったが、彼らは読書会のやり方を知らないという。けっきょくファシリテーションはぼくが務めることになってしまった。

本を読んでこなくてもいい

言い出しっぺとはいうものの、それまでぼく自身は「読書会」という活動に、参加したことはあっても企画実行したことがあるわけではなかった。
数年前から、作家・コラムニストの日垣隆さんが主催する読書会に何回か参加させてもらっていたくらい。学生のときにも参加したことすらなかった。ただ、一度くらいはやってみてもいいなという願望に近い思いはあったことは確かだ。

日垣さんの読書会にはいくつか特徴があった。それが一般的な読書会とどう違うのかは解らなかった。単純に比較対象がなかったからだ。

特徴のひとつは、「本を読んでこなくてもいい」ということ。本を持ってくるだけでもいい。せいぜい目次を読むだけでもいいという。

本を読んでこなくてもいい読書会って、いったい、どんな会なんだ(笑)

もうひとつは、本のテーマから脱線してもいいこと。もちろん、公序良俗や会の趣旨に反することは御法度だが、それ以外は何を話してもいいという。
その他細かいことはいくつかあったが、後から聞いて「なるほどな」と思ったくらいで、参加しているときには気にもならなかった。

日垣さんは、古典(あるときは課題テキストが一度に7冊というときもあったりして)もビジネス書(翻訳物)も、ご自身が面白そうと感じたテキストは何のためらいもなくどんどん取り上げていった。
参加する誰もが古典や歴史に精通しているわけでもなく、海外のビジネスシーンに詳しい人ばかりではない。
参加するのに二の足を踏むのは当然で、ましてやそれまで読書会なんて参加してことない人間からすれば、いったいこの会がどんな展開になるのか想像すらつかないのはよく理解できる。

それでも、本を読んでこなくともいいというハードルの低さを信じて、日垣さんのメルマガ読者を中心に、多いときには年に3回ほど(あれ、もっとかな)開催されたと思う。
じっさい参加してみると、参加する前の心配事はまったくの杞憂であって、本のテーマを軸にしてみんなで語ることの、そして話題がどんどんずれつつもそれを許容するその場の大らかな雰囲気と、さらにその場をうまくファシリテーションする日垣さんの話術の巧みさに、すっかり楽しんでいる自分がいた。読書会という言葉が持つ堅苦しさとは正反対の楽しさがそこにはたしかにあった。
だからこそ彼の主宰する読書会に何回も脚を運んだわけである。

そういう体験から、無謀だけれどいつかは自分で読書会をやってみたいとは思っていた。
思っていたけれど、当たり前だが、見るのとやるのは大違いなのだ。(おそらく、つづく)

 

 

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