村上春樹の短編についての友人ホンちゃんとの駄話的会話のつづき。
前回はこちらから


ホン この「トニー滝谷」あたりというのは、ちょっと特殊な時期に書かれたよね。「TVピープル」もそうだし「眠り」もそうでしょう?

プン ぼくはそのあたりの作品がけっこう好きなんですよ。
春樹さんがね、「ノルウェイの森」が売れすぎたせいでちょっとスランプになったときがあったでしょう? そこから脱出するときに書いたのが、「TVピープル」。

ホン そうなんだ。

ブン 「氷男」「七番目の男」とか「めくらやなぎ」とかもそうですが、そういう精神的な落ちこみを経て書かれた短編が好きなんだなあ。
ホンちゃんはね、初期短編あたりが好きみたいだけど、ぼくはそっちじゃないんですよ、なぜかは解らないけど。

ホン ヘンなキャラクタがいっぱいでてきますね、加納クレタとか氷男かかえるくんとかね。『神の子たち』は1999年刊だもんなあ。その時にわれわれがwebサイトを開いたんです。読書会のためのね。

ブン え、そうだったっけ?

ホン 「UFOが釧路におりる」とかについて語ったんだけど、開いた本人がどんなサイトだったか忘れてる(笑)。この話は、カート・ヴォネガットへのオマージュじゃないかって気がする、って文章をアップした記憶があるんだけど。でもさ、その理由はさっぱり忘れちゃったんだー。

ブン SFっぽいところとか?

ホン うーん、すいません、完全に失念してます。
で、2作目が「アイロンのある風景」。これはジャック・ロンドンの短編がモチーフになっている。全体的にこの短編集は、これまで自分が好きだった作家や作品へのオマージュがちりばめられている気がしますね。

ブン 「アイロン」は、あの結末をどう読むかというか理解するかでがらっと変わってしまいますね。

ホン 死んでしまうのか、生きているのか。その境界に立っている。

ブン 目が覚めるのか。

ホン 作者は簡単には希望は与えているわけではない。慎重なんですね、希望にたいして。
そういう意味では良心的なんですよ。

ブン 軽軽に結論をださない誠実さ。作家の良心ですね。

ホン 短編ひとつひとつ丁寧に描いているという印象が、この作品(『神の子』)にはあります。

ブン 話はさっきの第二短編集の冒頭に行きますが、「短編は造園である」と、村上さんは言っているんですけどね、長編と短編の定義が逆な感じがするけどなあ。どうでしょうね。
短編を80編もあると、いろんな時代背景や考え方、風景が反映されていて、さまざまな色合いを見せてくれているんですけどね、ぼくはやっぱり後期というのか、そのあたりの作品が好きですねえ。不穏な感じがね。初期の頃は、「青春の光と影」みたいなものが感じられるんですが。
そろそろ次を書いてもらいたいたいなあ。「1Q84」の次にはこんな短編を書いてきたんだとかってのが、のちのちに解るような。

ホン ブンちゃんはそういうふうに、作家と作品の変遷を捉えるのが好きなのね。

ブン 好きな作家と同時代を生きている幸せのひとつって、その作家のスタイルというか作風がどういうふうに変わっていくかっていうのを感じられることだと思っているんです。

ホン その視点というのは、ぼくにはないんだなあ。どっちかっつーと、「この時代とか作品はい遠慮します」みたいな割り切りかたをします。
読まなくていいやと判断した短編は二度と読まないんですよ。だから、たとえば「TVピープル」は一度しか読んでないし。読んだときには、なにが書きたいんだろうって解らなかったしねえ。いま読んだら違う感想を持つかもしれない。
あれを最初に読んだときは、がっかりしたことを覚えたこといるんだよね(苦笑)。あまりにも観念的すぎるなあと。否定しているわけじゃないけどね。

ブン 作品はいろんな読み方や捉え方があります。いろんな読み方や解釈をさせてくれる作品というのはぼくは貴重だと思うんですよね、優等生的な言い方だけど。

ホン 初期のころからずっと追っかけているわけだからね。
今日の対談、ぼくは手元になにもテキストを持ってきてないの。でも作品を言われたらだいたい思い出せるし、自然にこうやって話ができる。こんなふうに話ができる作家というのも、ぼくのなかにはそうそういないしね。

ブン いないねえ。

ホン そう考えると、自分が最初に高校生のときにはじめて出会ったんだけど、以来ずっと読みつづけていて、かつ友だちとこうして語り合える、まさにいま語り合っているんだけど、そういう作家というのはなかなか少ないと思いますよ。

ブン というのが、文学の力でもあるし愉しみでもあるし。

ホン ほんと、そうだねえ。って最後は褒め殺しみたいになっちゃったなあ(笑)。■